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花尊し

花尊し

喪中

喪中Q&A


Q 喪中とは?
A 喪中につき新年のご挨拶を控えさせていただきます、の文面で想像できるのはご家族が本年中に亡くなられたということ、おめでとうと新年を迎える気持ちが起きないということでしょう。喪中とは「まだまだ悲しみの中におり慶事などのお付き合いをする気が起きません」という個人の意思表示なのです。それはそれでよく理解できるのですが喪中をケガレ意識で使用するなら問題があります。特に神道の影響で死をケガレと考え、ケガレが拡散しないように結婚式などの出席を控えたり、神社に参拝しない(仏教徒は本来参拝しないのが普通です)などと行動を控える期間が喪中であると考えるならばそれは本当の意味での喪中とはいえません。この死をケガレと考える思想は平安時代に確立され、平安末期の延喜式には細かくケガレの期間が定められており、その拡散の仕方も細かく述べられており、ケガレを拡散させないために自粛しなさいという考えです。悲しみの期間である喪中は非常に個人的な期間でありますが、ケガレの思想とともに現在も規範のようなものが世間に流通し、世間の目を気にして行動を自粛しているのが現実のようです。喪服は江戸時代までは白でしたが明治の欧化政策で西欧の風習が取り入れられたため黒い服となりました。年賀の欠礼も、死者を出したものは神社に来てはならないという神道のケガレの思想から来ていることを知りましょう。

Q 服喪期間は
A 死者が出た家では故人の冥福を祈るとともに死の穢れをさけるため近親者が一定の期間喪屋にこもり日常生活から遠ざかって生活するという風習が行われてきました。これを忌服といい、忌服の期間は儒教では親が亡くなってから三年間喪に服することが孝であるといわれ、仏教では大練忌(四十九日忌)まで喪中とし、日本では一年間、三か月、五十日などの意見があります。

Q 忌明け はいつ
A 葬儀後は四十九日まで七日ごとに法要が営まれます。命日から数えて六日目を初七日といい、最近は初七日を葬儀の日の骨あげのあとに行なうのが一般的のようです。以後は二七日、三七日、四七日、五七日、六七日と法要を営むのですが、これらは偶数日をごく内輪で済ますことも多いようです。命日から数えて四十九日目(七七日)には多くの縁者を招いて荘厳に忌明け法要(大練忌)を行ないます。古代インドでは輪廻転生の思想がありましたが、生き物が死んで次の生を受けるまでの期間を中陰(中有)といい、その期間は四十九日と考えられておりました。今日の七日ごとのお勤めというのは、仏教にもこの考えが受け入れられるようになり、この中陰の期間に故人の霊が迷わぬようにと願ってお経をあげ、お導きをする供養(中陰供養)です。そして、中陰が終わる四十九日が満中陰(大練忌)となるわけです。

死者の家では故人の冥福を祈って身を慎む服喪の慣習があり、忌中、喪中というのがそれで、もとは死の穢れ(忌)を被った者がオコモリをする期間のことであったといいますが、そこには恐ろしい穢れを他の人々に与えぬようにという喪家の心遣いと、逆に喪家の人々がその間に心の整理や残務処理ができるようにそっとしておいてあげようといった周りの人々の暖かい心根が現れているように思われます。そして、この服喪期間が終了することを忌明けといい、中陰が終わると考えられた四十九日目と重ね合わされて、大切な供養の日ということになったのです。

Q 年賀欠礼
A 服喪中は年賀状の送付は控え、例年出している相手には十二月初旬に年賀郵便の受付開始前までに到着するように年賀欠礼の挨拶状を送る。故人が二親等(祖父母、兄弟姉妹、孫)以上で別世帯の場合には賀状を出したり、新年を祝ってもよい。欠礼状を出さずに相手から賀状を受けたときには、新年を迎えてから寒中見舞いを兼ねて、「喪中につき賀状失礼いたしました。」とお知らせする。喪中に年を越す場合は、門松、鏡餅、正月用の飾り、年始廻りはしない。神社参拝も控える。




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